雪国


1979年初冬、蒲原鉄道 http://bit.ly/brjVJv 七谷駅


田圃の右手には“ハンの木”が見えます。この地方独特の風情でした。


映っている電車はモハ61。1940年製で元は武蔵野鉄道のクハ5855 http://bit.ly/bXHzva


(この区間は並走する国道290号の拡幅改良にあわせて、1985年春に廃止されました)


BGMはこちら http://www.youtube.com/watch?v=Bhc71T5mlVA&feature=fvsr






「…雪が憎い、このキラキラ光る雪が。お金なんか無くったっていい、お父ちゃんと一緒にいたい」
これは1970年代はじめ、ある豪雪地帯に住む小学生の女の子が、
冬、都会へと出稼ぎ http://bit.ly/dumiVF に行く父親を見送る気持ちを作文に綴ったもの(の一節)です


当時私の通ってた東京の某小学校で、雪国に育った先生が
涙を零しつつ、読んで聴かせてくれたものでした…




70年代初頭より、列島改造ブームもあってか、地方で大型公共事業や大規模開発が盛んになり、
立派な道路やハコモノが造られるようになり始めました。
「道路が良くなったら、バスやマイカーに押されて鉄道が捨てられちゃうじゃん」
と、子どもだった私は無邪気にボヤいてたものです。が、


地方に快適な道が出来れば、それが雇用創出へと繋がって、
出稼ぎが減り、僻地に暮らす家族達が(冬の農閑期も)離れ離れにならなくてすむ、
そのようなプラス面の方が、はるかに大きく捉えられていて
情緒がなくなる、とか、自然が壊される、といったマイナス評価はおおっぴらには口に出しづらい雰囲気だったこと
をよく憶えています






そんな1970年代から、早30数年…



今やもう、その道路の方をも捨てられ行く時代になってしまったようです。

これは今年・2010年の秋に撮った、とある地方の国道の跡


国道にバイパス区間が出来ると、旧道は国道指定を解かれ、通常は地方自治体へ移管されるのだそうですが、
その県や町村に余裕が無ければ、余分な道など維持出来ない、ということになってしまい…


目下、実業之日本社の編集者 磯部祥行さんと、来年刊行予定の「廃道写真集(仮称)」の取材を続けています
詳細はこちらです→http://tenere.blog.shinobi.jp/Entry/406/
取材の様子は磯部さんのブログと、この「rail song」にて、時おり綴って行きたいと思います(^-^)/